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Travel back in time-GDO創業20年を振り返る【第3回】

創業メンバーが集結。サービス開始までの日々とは

インターネットを使って、ゴルフビジネスを展開する。米国留学時代から温めてきた、その構想をついに立ち上げるときがやってきた。ネットバブルが崩壊しつつあった当時、急速に低迷する市場を冷静に見つめながら、数人の立ち上げメンバーを集めることに。本格的にサービスを開始するまでの日々、どんな気持ちで走っていたのか。ゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)の原点と歩みについて、代表の石坂が自らの言葉で振り返る。

事業計画についてゴルフダイジェスト社(以下GD社)との話し合いが成立し、ゴルフに特化したインターネットビジネスとして「ゴルフダイジェスト・オンライン」を立ち上げることになったのは20世紀最後の年、2000年を迎えるタイミングだった。

そして、さまざまな人に会って挨拶や起業の相談をしながら、立ち上げメンバー探しを始めた。この事業を成功させるためには、自分以外にも少なくとも2~3人のメンバーが必要だと考えていたからだ。GD社専務の木村正浩氏が相当な時間を割いてくれて、ゴルフ場予約ビジネスの立ち上げに尽力してくれていたが、彼が専任でGDOに関わるのは難しいだろうということもあって、とにかく人探しに奔走した。

紆余曲折の末、立ち上げメンバーは3人集まった。ほとんどは自分が声をかけようと思っていた人ではなく、思いもよらない形で出会うことになった面々だった。

創業当時のオフィスドア。初期のロゴを紙にプリントしただけの入り口

その一人が金田武朗(かねだたけろう)氏。彼は総合商社出身で、僕がビジネススクールで知り合った同企業の玉置浩伸(たまきひろのぶ)氏の紹介だった。金田氏は、僕がゴルフビジネスで起業するという話を聞き、ぜひ一緒にやりたいとすごい意気込みだった。知り合ったその翌日には、参加意向を表明。わずか2カ月で前職を退職し、GDOに参画してくれた。

彼の父親がゴルフに生涯を捧げた有名な方で、自分もゴルフビジネスを手がけたいという強い思いを抱いていた。そうは言っても、自分自身が起業の決意を固めるまでに要した長い時間を思うと、彼の「起業する覚悟」がどのくらい固いかは少し不安だった。入社までの1~2カ月間、何度も何度も彼に思いの強さを聞き返して確認していたほどだ。

また、玉置氏についてはビジネススクールが一緒だったこともあり、僕が退職し起業する際に話をする機会があった。ちょうど僕が訪問する前日に、玉置氏と金田氏の2人は社内の飲み会で同席し、その場でゴルフビジネスに興味があるという話をしていたのだという。なんというタイミングだろう! 玉置氏は当初、自ら参加するという意志まではなかったが、金田氏の参加表明があった1~2週間後に電話をくれ、自分も参加したいということだった。これには、さすがに驚いた。

それからもう一人、中村壮秀(なかむらまさひで)氏。彼はたまたまGD社に対して、ある事業の相談をしたいとアポを入れていた。対応する専務の正浩氏より「何やらネット事業の相談に来る人がいるから」と同席を依頼されたことがきっかけになった。話を聞いてみたところ、中村氏の事業計画はインターネットを利用したスコア管理ビジネスで、この立ち上げをGD社と一緒にできないかという打診であった。僕は、そこでGDOの立ち上げ準備について簡単に触れ、このようなベンチャーに参加して、自身の事業プランを一緒に実現することに興味があれば連絡を下さい、と伝えた。彼の意気込みと決断力もすごかった。その日の夜に中村氏から早速電話をもらい、とにかく参加させてほしいという強いアピールがあった。

必要としていた創業メンバーが集まり、いよいよサービス開始へ

そして集まった創業メンバーは5人。はじめてのミーティングは、僕の自宅で行った。石坂、木村、金田、玉置、中村の中で、無職は僕のみだった。でも一番ワクワクしていたのは、僕だったことに間違いない。まずは、自分ひとりで作った事業計画を改めてメンバーと練り直すことから始めた。

立ち上げ資金をどの程度用意するか。以前に個人として有限会社設立の経験はあったものの、今回はじめての本格的な株式会社の設立で、熟考が必要だった。出した結論は、一定の立ち上げ資金を準備し、その後は外部資本を受け入れるということ。外部資本、特にベンチャーキャピタルの出資を受けるということは、彼らが投資に対する期待利益を求めることを覚悟しなければならない。期待に応えるためには、一定期間で上場するか、その持ち株分の売却機会を提供するかという二者択一が求められる。

こうした考えのもと、創業期の関係者には、事業計画の一つの通過点として株式を公開するという目標を明示した。この事業には一定の先行投資が必要で、自己資金のみだと範囲やスピードが極めて限定的になってしまうおそれがあったためだ。外部資本も積極的に入れて、投資速度を高めていくというねらいだった。

また、当時はゴルフ産業もその人気がかなり低迷していたので、業界全体の活性化のためにも、GDOは上場により規模を拡大し、元気な新進企業が出現していることを世に示したいという強い思いもあった。

起業した理由のひとつには、ゴルフ業界を活性化させたいという思いがあった

何よりも、僕自身そして参加するメンバーのモチベーションのために、上場を一つの目標として掲げたかった。即効性があるものではないけれど、5年・10年・20年という時間軸では、必ず会社としての信用や知名度に好影響になるとも考えた。

GD社とは、約3カ月をかけて話し合いを行った。最終的にはすべての条件を受け入れてもらい、資金を出しあって株式会社ゴルフダイジェスト・オンラインを設立することに合意した。独立性と独自性のある経営を重視し、代表である石坂にすべてを一任してもらう代わりに、3~5年で上場を目指すことを約束した。

最初の資本金は8千万円とした。初期には収入がほぼ得られなくとも、一定のシステム構築を行い、会員を増やすためのマーケティング活動を積極実施していくためにはこれぐらいかかるだろうとの概算だ。立ち上げ期間は約6カ月程度を要すると予測した。

時は2000年3月。ネットバブルに急ブレーキがかかり、びっくりするぐらい市場は冷え込み始めていた時期だった。いま思えば、そんなタイミングの5月に会社をスタートさせるのは色々な意味でチャレンジングだったかもしれない。だが、金融市場(特にベンチャー投資方面)が急速に冷え込んでいた背景があったので、まずは経営健全化のために一定の資本金を自分たちで用意するという点にこだわれたと振り返ることもできる。

大きくうねる時代の潮流の中で、幸運な出会いに巡り合い、創業メンバーの知見と強い意志を結集しGDOはついにサービスを開始することになったのだった。

最終回に続く)

構成・PLAY YOUR LIFE編集部 写真・角田慎太郎/ゲッティイメージズ

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